オープンアクセス夜話(第4話)~紙ジャーナルから脱却できない理由は、研究者にあった~

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研究者 VS. 学術情報流通のプロによるオープンアクセス談義、第4話はジャーナルのオープンアクセス化に対する研究者自身の心理的バリアについて。オープンアクセス化がもっと先に進んで、そもそも今の「論文」という形態そのものが全く別のものに変化していくとき、研究者はその変化を受け入れられるのか?というお話です。今のオープンアクセス化も、実は一番嫌がっているのは今までの慣習を変えたくない研究者なんだという林氏。そんならもう紙ジャーナルは禁止にしちゃったほうがいいんだ、という宮川氏。 

<これまでのお話>

 

オープンアクセス談義、濃度が上がってきました。はじまりはじまり。
※聞き手:湯浅誠

第4話 紙ジャーナルから脱却できない理由は、研究者にあった

湯浅 5年後、10年後に仮にすべての論文がオープンアクセスになった場合、そもそも論文という形態自体が、今我々が考えているフルペーパーではなくなる可能性もありませんか?

 いよいよ論文という形態の「タガ」が外れるかもしれない。最近よく言うんですけど、学術出版における17世紀体制の崩壊っていうかね。良くも悪くも聖書にはじまり、最古の学術ジャーナル「フィロソフィカル・トランダクション」に始まった、紙の上に情報を載せて伝播するという形態が21世紀の今でも続いているんです。ジャーナルの電子化をしても、結局PDFに象徴されるように、誌面をそのまま電子化したものの域を超えてなかった。ところが、そのスキームが崩れはじめているのが今なんです。

宮川 完全に紙の時代からの脱却が起きつつあります。

 そう、「脱却」です。「崩壊」っていうと今までをリスペクトしていない表現なので、「脱却」とか「発展的に次のパラダイムにうつる」というべき。そういうことをよく考えます。

宮川 今のジャーナルにはせっかく電子媒体があるのに、紙媒体の伝統にひきずられているがゆえに電子媒体の良さが発揮できていない。だからもう、紙媒体を全部なくしちゃえ!ってのが僕の提案です。もうね、積極的に禁止した方がいいと思う。

 ファーマティブ・アクション、というやつですよね。(笑)

宮川 (笑)

 昔話ばかりして恐縮なんですけれども、最初に学術出版社が電子化をやったときは、誌面にとらわれない試みを1990年代後半に、実はいくつもやっているんですね。ところが結局、研究者がそれを望まなかった。ページを指定して引用するときに、誰がどこを見ても同じ論文で同じ個所を指定できるっていう意味では、誌面という制約がポジティブに生きるケースも少なくとも今はあると。

宮川 そうですね。引用するときに「これを引用してるんだ」という、バージョンがいっぱいあったら引用がしにくいという問題はあるんですよね。それも技術的に解決することはそんなに難しいことじゃないと思いますが。

 技術的には何の問題もないですね。たとえばウェブページだったら上から何%っていう表示をすれば、巻物の形の論文でも位置を指定することはできるっていう議論はすでにされている。

宮川 論文のバージョン情報も引用するというのが将来的にはスタンダードになるべきですよね。

 そうですね。紙派の考え方からすると情報が固定化されている方がありがたい。あまり流動性がない方がいいという考え方もあるんですよね。

宮川 それは、引用しにくいからですよね?

 そう。世代論をするつもりはないんですけど、すでに今の情報収集の行動習慣あるいは出版のための行動習慣ができあがっている教授レベルの年齢の方々からすると、引用ひとつするのにも「バージョン情報を付けて下さい」とか「ページじゃなくて上から何%の位置情報引用して下さい」って今さら言われても困っちゃいますよね。変えないでほしいって思っちゃうのは自然ですよね。

宮川 バージョン情報を引用に掲載するというひとつとってみても、これは大変革ですからねぇ。

 そうなんですよね。大げさに言うと宗教が変わるレベルの変革っていうか。

宮川 そのくらいの感じですよね。

 そうなると「イナーシャ(inertia)」とか感性というか惰性的になって、結果的に意図せず変革を妨げることになるということはあるんですよね。

湯浅 おそらく多くの研究者にはまだまだオープンアクセス化への心理的なバリアがありますよね。

宮川 そうですね。慣習を変えることに心理的バリアがあるなら「じゃあ引用の仕組みを変えちゃえばいいじゃないか」っていう前向きな考え方になるんじゃなくて、「いや、引用の仕組みがこうなんで、やっぱり紙媒体のままでいいよ」という後ろ向きな考え方になっちゃう傾向があるんですよね。でもそうじゃないんですよ。本来こうあるべきってのが前提にあって、今の技術で絶対できるんだから変えなきゃいけないっていう発想じゃないといけない。多分欧米の出版業界ではそういう議論はどんどんされていると思うんですが、日本ってまあ世界の動向を見て、とりあえずそれについて行こうというような発想になりがちですよね。

 いや、それはもう、そのとおりですね。

宮川 「変えていくべき」っていう自己発信は日本人はめったにならないですよね。

――日本発信のパラダイム・シフトが起きることって、確かにあんまり多くないですよね。積極的に新しいものに改革していくというより、諸外国発信の新しい良い実践に「習う」場合が多いのが現状。オープンアクセスもまた、「いいね、もっとやろう!」という研究者もいれば「あ、やるの?しょうがないなあ」という研究者もいるわけですが、科学の発展にとって一番いい研究発表モデルはなんだろう?という議論は、やはり研究者目線で発信していく必要があるようです。

分野によって考え方やニーズは違うと思います。皆さんは、これからの研究発表はどうあるべきだと思いますか?

 

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