オープンアクセス夜話(第3話)~論文は素早く発表してバージョンアップ~

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研究者 VS. 学術情報流通のプロによるオープンアクセス談義、第3話はそもそも科学の研究成果ってなんぞや?という話。最近STAP研究問題を皮切りに論文のコピペが大きな話題になっています。もちろんコピペはNGなんですが、一方で発見をいち早く発表することが求められる研究分野では、イントロのお決まりの概念紹介文なんて正直どうでもいいから結論だけさっさと発表したいという考え方があるのも事実。いやいや、科学とは新しい概念や哲学のイントロダクションそのものなんだからそこをサボったら本末転倒でしょう、という考え方もまた正しい。いずれにしても、最初からカンペキな論文を書かなくていいなら、ヴァージョン1を出版しておいてあとで修正版ヴァージョン2で加筆すればいいので、時間がないからコピペで文章をどこかから拝借して…なんてことも起こりにくくなるはずで、そのための仕組みとして「クロスマーク」という新しい方法があると宮川先生は語ります。

<これまでのお話>

 

論文をヴァージョンアップできる「クロスマーク」というアプローチ、あなたは賛成ですか、反対ですか?

クロストーク、はじまりはじまり。
※聞き手:湯浅誠

第3話 論文は素早く発表してバージョンアップ

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湯浅 宮川先生のおっしゃっている「オープンアクセスにすると論文の公表までのスピードが上がる」ってどういうことですか?

宮川 今までの話にも関連していますが、紙媒体やペイウォールがある購読費モデルのジャーナルだと出版後の論文の訂正が困難なんです。できなくはないけれども簡単じゃないので、出版までの敷居が高くなります。修正が簡単にできないとなると、相当著者も吟味してから投稿するし、出版者としても査読者にちゃんと見てもらって、かなりちゃんとした形のものを出したいというモチベーションが高くなってしまうわけですね。ところが電子媒体、オープンアクセスだと出版後の訂正がやりやすいですよね。最近セルプレスとかPNSとかで使われるようになってきているしくみに「クロスマーク」というのがありますが、これは論文のバージョンをトラックできるんです。論文を訂正するごとにバージョンが上がる。で、論文をPDFでダウンロードしたときにクロスマークのところをクリックすると、最新のバージョンがあるかどうかがオンラインで繋がっていれば分かるわけです。

 そこがキモですね。仮に論文の古いバージョンを持ってたとして、クロスマークチェックをしたら「新しいバージョンがあるよー」と教えてくれて、その新しいところに飛んで行ってくれる、と。常に最新のものがどこにあるのか、ということを教えてくれるしくみがあるため、このクロスマークの仕組みを前提に置くと、論文の訂正が非常にやりやすくなる。

宮川 やりやすいですね。こういうシステムがあるということを前提に考えてみると、科学的な発見とか発明は本来、キモの部分ができるだけ早く世に出ちゃった方が科学の進歩につながるわけですよね。論文のキモの部分ってほんのわずかなんです。それを補強するようなコントロール実験とか補助的な情報とかがのっかってきて、さらにイントロダクションとかディスカッションとかアブストラクトがくっつくわけなんですが、イントロダクションもディスカッションも、実はあんまり意味ないって言うか…。意味がないというと言い過ぎかもしれないけれども、イントロダクションとかディスカッションとかっていうのは、あくまでもその研究者が研究をどう認識しているかという主観的なものが入る部分で、必ずしもなくていいという考え方があると思うんです。今世間で話題になっている論文コピペ騒動には、そういう背景がちょっとはあると思うんですよ。一部の研究者には、研究結果さえしっかりしていればバックグラウンドなんか比較的どうでもいいので、コピペで典型的なイントロを持ってきて書いちゃえばいいじゃないかという考えの人はいるんですよね。

 そこは今、一番ホットになっている論点ですよね。研究成果の目的はサイエンスの発展なのか、もうすこし実用的なことを含めた人類の知の発展なのか。僕は社会科学者ではないので、もっと上手い表現方法があると思うんですけど…。「サイエンス」の捉え方にもいろいろあって、論文のイントロ部分に新しい考え方や哲学を持ち込むのが本当のサイエンスだという立場をとられる方もいて、そういう方からするとコピペはもう自分の骨格のところに他人のものを使うなんて「けしからん」という議論になる。一方で、ゲノム系・分子生物学系を中心に、いま宮川先生がおっしゃったみたいな、サイエンスとは”Standing on the shoulder of giants(巨人の肩の上に乗る)”であって、よりどころがあったうえで新しい情報・価値・研究成果を出しているんだから、役に立つのであればいいじゃないかと考える研究者もいる。そこがまさに今、問われている感じがしますね。両方、良くも悪くも、コピペ騒動でそこの論点がここに来て顕在化しはじめている。この話を無理矢理オープンアクセスに戻すと、論文がオープンアクセスになれば、情報がみんなで見られる、比較できる、評論できる。しかも一般市民を巻き込んでできているわけですよね、実際。

宮川 そうですね。

 前向きに考えると、新しいサイエンスに向けた、融合なのか発展なのか…、それは後にならないとわからないですけれども、今まさに過渡期のごにょごにょした段階なんだと思います。

宮川 林先生がおっしゃったように、イントロにはその研究の背景やその研究を駆動した概念的な新しさ、みたいな情報はないと困るかもしれないですね。そういう、論文に絶対に必要なところだけをまずは出版してしまって、後でバージョンアップしていけばいいんじゃないかという考え方って、僕はありだと思うんですけどね。

 そうですね。紙の物流の時代には、「本論誌」と「レター誌」という分類が今まさに宮川先生がおっしゃったようなことに答えて生まれてきた歴史があるのですね。レターっていうのは、「Letter to editor」がその起源で、本当は本論文を書かないといけないんだけれども、「俺はこれを発見したんだ!フルペーパーを書く前に、編集委員長にまず言いたい!」ってところから始まっているんです。それが今や立派なメディアとなっている。それはあくまで…。

宮川 そう。あくまで「速報」っていう位置づけだったんですよね。

 このレターのスキームはあくまで紙と物流の時代のスキームなんです。クロスマークのような仕組みを採用すれば、別にレターと本論文の区別をせずにどんどん版を重ねていくことが可能になると。これも実はね、温故知新みたいなところがあって、人文社会学の分野ではもともとモノグラフでそういう文化があってですね。

宮川 あ、そうなの?

 はい。第何版、という風にバージョンアップするんですよ。

宮川 知らなかった。

 聞いた話ですけれども、博士論文を書いた後にモノグラフ化してどんどん書き加えていった結果、極端な話言ってることが反対側になるって笑い話もあるほどで。

宮川 書籍では版を重ねるごとに内容がアップデートされていくってありますよね。当然タイポとか、誤植とか、事実関係の誤りとか、引用するべきものを引用してなかったとか、そういうのも版を重ねるごとにちゃんとしていく、と。

 この行動原理は、研究者の持つより良い情報発信をしてしたいという欲求に答えるわけです。今のウェブの時代ならではのツールでそれが論文でも可能になってきたということだと思うんですよね。

宮川 コアの部分だけパブリッシュしてしまって、後から肉付けをしたり、不正確なところを正確にしたりするっていうのは、非常にリーズナブルだと思うんですよね。

――お話を聞けば聞くほど、オープンアクセスというアプローチは研究者にとって、従来は狭き門であった投稿のプレッシャーから自由になり、より多くのアウトプットを行うためのシステムとして受け入れられうることがわかってきました。論文出版は本来は特別なことではないはずで、重要な結果が出たら分野の発展のためにも素早く発表すべきなのに、それが叶わないジレンマ。研究とは本来は流動的・発展的であるにもかかわらず完璧な論文を求められるジレンマ。オープンアクセスはそういった研究者の日々の苦しみを解消する可能性を秘めているのかもしれません。「いやいや、そんな高尚なもんじゃありませんよ。期待しすぎちゃいけません」というコメントもいくつか頂いていますので、そちらのご意見ものちのち掲載していきます。

研究者の皆さん、出版社の皆さんはそれぞれの立場からどう思いますか?

 

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