「試行錯誤を繰り返して大型プロジェクトを実現させる 」

中部大学理事長・飯吉厚夫氏インタビュー(2)

「試行錯誤を繰り返して大型プロジェクトを実現させる 」
飯吉厚夫氏インタビューシリーズ2回目!
今回は、プラズマ研究によって進行した核融合実験装置の開発というビッグ・プロジェクトを主導したご自身の経験について語っていただきました。


【湯浅】
 先生は、もともと京都大学でご自身が京都大学内の研究所を運営されていて、そこからいわゆるスピンオフして独立した国立研究所を立ち上げられましたよね。

その後、現在中部大学で理事長・総長をお務めになられていらっしゃいます。数々のビッグ・プロジェクトをマネジメントされてきた先生のご経験から今回のテーマ、「研究費」についてのお考えを伺う上で、やはり先生のこれまでのご経歴をじっくり伺っておきたいのですが。

【飯吉】 ああ、そうですか。弱りましたね。僕はあまり後ろを見ないタイプなので。(笑)

【湯浅】 そこをぜひよろしくおねがいします。(笑)

【飯吉】 忘れていることも多いと思いますけどね。私は慶應の工学部を出て、大学院に入る時、何か新しいことをやりたいと思いました。ちょうど1960年代の初め頃、プラズマというものが初めて出てきた。これからおもしろくなるだろうと思い、ほとんど独学で勉強しました。

ちょうどあのころ、プラズマに関してたった2冊だけ教科書があったのです。それを一生懸命勉強して、まがりなりにもドクターを取って。日本にまだその分野の指導者も少ない頃でしたので、どこかへ行かなきゃいけない。プリンストン大学にプラズマ物理研究所という世界で一番大きな、しかもいい研究者が集まっている研究所があったので、自分で推薦書を書いて送ったところ、本当に幸運なことに、ちょうどポスドクが1つあいているから来ないかという。アメリカはそういうところなんですよね。全然知らない人でもいきなり取ってくれる。ドクターを4月に取って、6月にアメリカのプリンストンの研究所へ。

【湯浅】 博士号を取得なさった2ヵ月後にもうアメリカに!

【飯吉】 そこで2年間研究して、初めてそこで本格的に研究者としての修業をしました。当時、プリンストンでは天文学者で有名な当時の所長 L.スピッツァ教授のアイデアであるステラレータという大きなひねられた磁場でプラズマを閉じ込めるという核融合をめざした研究をしていました。

ステラレーター-C計画という大きな、ビッグ・プロジェクトです。その研究グループに入って、2年間、そこでもまれて。そのときはもう本当に死に物狂いで勉強しました。もう負けていられないという(笑)。世界からトップクラスの研究者が集まってきていますからね。僕みたいに本当に素人みたいなのはいなかったですから。みんな若くて、30代の集まりでした。

幸いにも、日本人の吉川庄一さんがリーダーの一人でした。この人はまた天才的で。あの方がいたために僕は随分いろいろな意味で助けられて、修業ができたのです。周りの研究者もみんな、吉川さんのことは一目置いていました。

【湯浅】 そうだったんですか。

【飯吉】 アメリカには約2年間いて、その後、オックスフォードの近くの原子エネルギー研究所で一年くらい研鑽をして京都大学へ。京都大学でもプラズマを研究するということになりました。私がそのときについたボスの宇尾光治先生が考えたヘリオトロンという方式の研究です。

ステラレータによく似たドーナツ状のプラズマをつくる研究です。ヘリオトロンAという装置からA、B、C、D、Eと、4台か5台ぐらい実験を試行錯誤を繰り返して大きくして。私は京都に約20年いましたから、その間はヘリオトロン研究をずっとやっていました。

【湯浅】 なるほど。

【飯吉】 そのヘリオトロンE装置は大型のプラズマ発生装置で、1000万度のプラズマを作りました。太陽の温度が1500万度ですから、ほとんど太陽の中心温度に近い温度ができるぐらいになりました。ただし、密度は太陽に比べると遥かに低いプラズマです。

そのころ、日本全国にはプラズマの研究が随分いろいろなところで、筑波大学(ミラー方式)、名古屋大学(トカマク)、大阪大学(レーザー)、九州大学(トカマク)など、いろいろなプラズマ閉じ込め方式が乱立して、戦国時代だったのですよ。ところが、みんながもう少し大きくしたいということで、あの当時でそれぞれが100億円規模の装置をつくりたいと。

文科省に予算請求に行くわけですが、文科省は音を上げて、「先生方、どれか1つに絞ってください」という話になって。当時、名大の総長であった早川幸男先生が主導されて研究者が全部集まって、喧々諤々の議論が1年半ぐらいかかりました。結局、最後は京都大学でやっていたヘリオトロン方式に決まりました。

世界的にはトカマクというのが趨勢になりつつあったんですが、ヘリオトロン方式が日本のオリジナルであるということ。トカマクとヘリオトロンは同じドーナツ状プラズマなので、トカマクの実験とも相関があるから、世界の学術研究ともある意味では共同研究ができること、などが選ばれた理由です。それではこれをやろうということで核融合科学研究所が全国の大学共同利用機関の一つとして出来まして、大型ヘリカル装置(LHD)の建設が決まりました。

【湯浅】 核融合の実験装置ですね。

【飯吉】 はい。そして、名古屋大学のプラズマ研究所、当時70人ぐらい研究者がいたと思いますが、それから京都大学のヘリオトロンに10人近く、広島に理論のグループがいて、そこから5人ぐらい来て、それで新しい研究所ができました。それでどういうわけか、私が所長になりまして。

当時52歳でした。やっぱりそれもヘリオトロンが選ばれたからなったんですよね。いろいろ大変でしたけれど、やりがいのある仕事でした。本当の意味の大型プロジェクトっていうのは、そういう試行錯誤で少しずつステップアップして初めて本物になります。そういうものは最近少ないでしょう。

【湯浅】 そうかもしれません。

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